tender memory

いっぱい食べるあにがすき。

一ヶ月めの戯言。


こんばんは。
まほろばです。

持病とブラック仕事の都合で打つのが遅れていたワクチン、1回目を打ってきました。
副反応やばいね!笑
今から二回目に怯えている今日この頃です。


さて。
ついったには書きましたが、私9/7でMesemoa.とにーちゃんを推し始めて一ヶ月経ちました👏
その前から結構好きだったんだけど、推しを決めるのに躊躇してたんですよね。
私にとって「推し」って存在はとても重たいものだから。

 

私は元々、とある配信アプリの配信者限界ヲタクだったんですよ。
そこで推しをつくる楽しさを知ったし、同時に推しから裏切られたと感じたり、関係を失う辛さも知ってしまった。
もう二度と推しなんて作りたくないって思ってた。

自分が持つ「好き」「愛」「大事にする」みたいな感覚が人とズレている自覚はある。
物凄く簡単に言うなら、人より愛情深いし同時にめちゃくちゃ冷たい。(自分でこれ言うの微妙なんだけどさ)
誰かに愛されたいという気持ちはあるけど、同時に誰に愛されても足りないって感じてしまう。
恋愛というより友愛や親愛の方向で自分を大事にしてくれる人がいるのは分かってて、感謝もしているのに、足りないって思ってしまうところがあって。
愛というものがなんなのか、割と常に考えている。

誰かを愛したかったんだと思う。
好きな人が欲しかったというより、愛情を注いでも壊れない関係性が欲しかった。
リアルの世界だと、相手から愛されたいと願ってしまう。そして、私が好きになる人は大体恋愛とかに全く興味がないか、それどころじゃないかの人が多い。
愛情は注ぐだけだとすぐバランスを崩してしまう。

だから、推しという存在は都合がいい。
私が世界でひとつの手作り弁当みたいな愛を渡しても、返ってくる愛はインスタント味噌汁みたいな市販品の愛である。でもそれでいい。
手作り弁当を渡したいのは私のエゴで、そのエゴに対してわざわざ味噌汁を返してくれるのだ。推しからもらえるインスタント味噌汁、最高じゃないか。
触れる距離にいる人間から何も返ってこないくらいなら何か返ってくる方がいいに決まってる。
人によって具も違うのがいい。みんなでどんな味噌汁をもらったかお裾分けしあって、色んな味を楽しむ時間のようなもの。
すごく楽しい。私は楽しんでいる。

恐らく私が作ったお弁当はきちんと届いていて、みんな大事にしてくれている。
目の前でゴミ箱に捨てられたこともなければ、とあるひとつのお弁当の自慢をされたこともない。
たくさんのお弁当を貰って無邪気に喜ぶ推しが私はだいすきです。

ライブをしてくれること、YouTubeに動画をあげてくれること、SNSを更新してくれること、配信をしてくれること、対面撮影会をしてくれること…etc
たくさんの愛をありがとう。
これからもたくさん愛させてください。
愛を表す方法はいくつもあってなかなか難しいものもあるけど、出来る限りやりたいなと思うのは愛してるからなんだろうね。
文章を書くのは、私が出来る一番のご馳走みたいなものだから、これからも書き続けたいな。

たった一ヶ月だけど、この一ヶ月がなかったら死んでもおかしくなかったから。
私はこの一ヶ月のことを忘れないし、ここからどんどん積み上げていきたいなと思います。


Mesemoa.に、にーちゃんに出会えてよかったです。